こんにちは、カフです!
今回は、Adoさんの『うっせぇわ』の歌詞の意味を考察&解説していきます。
「正しさとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる」
というエッジの効いた歌詞から始まる同曲はインパクトが強いだけでなく、その痺れるような世界観に飲み込まれずに自分の曲として歌いきっているAdoさんの歌唱力に驚嘆します。
そんな『うっせぇわ』には、どんな意味が込められているのでしょうか。
今回考察するにあたって、以下3点に注目しました。
1つ目のキーワード「世間一般の“気持ち悪い”慣習の否定」について説明します。
これは歌詞を読めば何となくわかることなのですが、社会人が生きていく上での“暗黙のルールやマナー”って冷静に見つめなおすと精神衛生上不健康だということです。
ここで重要なのは、「これらのルールやマナーに意味がないから不健康」ではなく、「これらのルールやマナーが凡庸を作り出しているから不健康」ということです。
SNSやマスメディアを見ていると、有益性の観点から「意味がない」と語る人が時々いますが、半分的外れな意見である場合もあります。
そもそもルールやマナーは、相互間のコミュニケーションや広く言えば「生き方」を円滑に進めるためのものですから、それらが存在して機能している時点で「意味はある」と言えます。
しかし今では、その“広く言えば「生き方」にまで関わるルールやマナー”が、時代の変化とともにアップデートされなければならない局面にあります。
昭和や平成では「テレビ一強の大衆時代」「公務員が安定の職業」と言われていたように、“普通”を求めることが理想とされる部分がありました。
そこでは暗黙のルールやマナーは、自分が“普通”になるために大事な要素として存在しています。
同時に、お互いにそのルールやマナーを強制し合うことで周りの環境に“普通”を作り出していました。
(もちろん今でも学校や会社など、様々なところでそういったものは存在しています)
それにたいして今は、職種や考え方、人それぞれの「生き方」にまで多様化は広がっており、その人の自由を他の人が奪うことはマナー違反と捉えられることが多くなりました。
そういう風に考えたとき、これまでの暗黙のルールやマナーというのは令和の考え方にそぐわないものであり、若い人たちが違和感を覚えるのも当然のことと言えます。
飲み会の中で強いられるマナーやルール、ひいては「会社の飲み会に参加しなければならない」という“暗黙のマナーやルール”というものに今の若者たちが反抗する理由は、大きい目で見ればそういう時代の変化によるものなのでしょう。
2つ目のキーワード「自分の正しさを証明するための曲」について説明します。
これはAdoさん本人の来歴とコメントを踏まえてのキーワードです。
(UNIVERSAL MUSIC JAPAN Adoとは? より引用)
一見『うっせぇわ』と関連がないように見えますが、“自分の正しさを証明する”という点では、彼女のバックグラウンドと『うっせぇわ』のテーマは根本的に繋がっており、だからこそ彼女の歌声にあれほどまでに気持ちが乗っているのだと考えられます。
3つ目のキーワード「代弁者でありながら脇役でもある“Ado”という存在」について説明します。
1つ目のキーワードの説明で、“暗黙のルールやマナー”に対する否定について話しましたが、私のようにネット上で発言するだけでは、これはただの愚痴にしかなりません。
それに対してAdoさんはそのステータスと才能で、「ただの愚痴」を芸術にまで昇華し、彼女の実力は反論を寄せつけないくらい完膚なきまでに一昔前の価値観を叩きのめしています。
その説得力ある彼女の叫び声は、私たちの代わりに社会に対して反発しており、そこにスカッとするような快感があります。
そしてもう一つ、また先ほどのページからコメントを抜粋してきました。
(UNIVERSAL MUSIC JAPAN Adoとは? より引用)
ここにAdoさんの想いの全てが書かれていますが、『うっせぇわ』を聞くと見事に彼女が大切にしている2つのポリシーが歌声に反映されているのがわかります。
これで『うっせぇわ』のキーワードの模索は終わります。
以上3つのことを念頭に置いて、これからの歌詞考察を読むとより理解しやすいと思います。
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフのような思考回路
持ち合わせる訳もなく
主人公(Adoさんの可能性もありますが、作詞されたのが別の方なので一応「主人公」という言葉を使います)は、俗に言う優等生で尖った考え方をしていないと自分を客観視しています。
“優等生=大人に抵抗しない人”という方程式がしばしばみられますが、この歌詞もそういう意味で皮肉を表現しています。
一つ目のキーワードで話した「暗黙のルールやマナーが“普通”を作り出してしまうから不健康」という考え方に繋がります。
優等生だったけど気づけば“普通の大人”になっていて、感性あるいは知性に優れた頭脳を持っている訳でもない、平々凡々な脳みそだと自ら自虐しているわけです。
でも遊び足りない 何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
エイデイは“毎日”という意味です。
日々つまらなくて混乱していることが表現されています。
それもそっか
最新の流行は当然の把握
経済の動向も通勤時チェック
純情な精神で入社しワーク
社会人じゃ当然のルールです
流行を抑えているのは当たり前。
経済の動きを知っているのは当たり前。
純粋な気持ちで働くことが当たり前。
世の中には当たり前に過ごすためのルールが多いせいで、自分のために使う時間や精神が削られてしまっていることに主人公は気づきます。
前述した社会人のルールを「うっせぇわ」と一蹴するサビです。
ルールとマナーに縛られて“凡庸”の沼に沈んでいるあなたとは違うんだ、と叫んでいます。
嗚呼よく似合う
その可もなく不可もないメロディー
キーワードの模索で取り上げたAdoさんの来歴を読むと、ここの歌詞は遊び半分でやっていた無名の歌い手たちを鋭く批判していることがわかります。
その頭に突きつけて撃てば
マジヤバない?止まれやしない
不平不満垂れて成れの果て
サディスティックに変貌する精神
サディスティックは“残虐なこと(例えば物理的に殴ったり、精神的に追い詰めたりすること)を好む様”を意味します。
ここでは言葉を使って精神的に追い詰めることを指していますね。
クソだりぃな
酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい
皆がつまみ易いように串外しなさい
会計や注文は先陣を切る
不文律最低限のマナーです
不文律とは、文章化されていないもののことで、「不文律最低限のマナー」を言い換えると「暗黙のマナー」となります。
『うっせぇわ』は社会人の部下が上司に反抗するストーリーなのでこういう歌詞ですが、会社のことに限らず精神衛生上不健康なマナーにイライラしている人も多いのではないでしょうか。
もう見飽きたわ
二番煎じ言い換えのパロディ
ここもまた、昔見に行った遊び半分の歌い手に対しての厳しい批判だと考えられます。
*あとはほぼ繰り返しなので考察は省きます。
『うっせぇわ』の歌詞は変に遠回りした言葉を使わずにストレートに書かれていると同時に、使いまわしのチープな表現もないことで、新鮮さとスカッとする爽快感が感じられます。
さらにAdoさんの力強い歌声が、『うっせぇわ』のテーマを巧みに引き出していますね。
いかがでしたか?
質問やリクエスト、違う解釈の可能性などありましたら是非コメントで教えてください。
読者登録をしていただくと、ブログを更新したときに通知がいくため新曲の歌詞考察をいち早くご覧になれます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今回は、Adoさんの『うっせぇわ』の歌詞の意味を考察&解説していきます。
「正しさとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる」
というエッジの効いた歌詞から始まる同曲はインパクトが強いだけでなく、その痺れるような世界観に飲み込まれずに自分の曲として歌いきっているAdoさんの歌唱力に驚嘆します。
そんな『うっせぇわ』には、どんな意味が込められているのでしょうか。
1.キーワードの模索
今回考察するにあたって、以下3点に注目しました。
POINT
・世間一般の“気持ち悪い”慣習の否定
・自分の正しさを証明するための曲
・代弁者でありながら脇役でもある“Ado”という存在
1つ目のキーワード「世間一般の“気持ち悪い”慣習の否定」について説明します。
これは歌詞を読めば何となくわかることなのですが、社会人が生きていく上での“暗黙のルールやマナー”って冷静に見つめなおすと精神衛生上不健康だということです。
ここで重要なのは、「これらのルールやマナーに意味がないから不健康」ではなく、「これらのルールやマナーが凡庸を作り出しているから不健康」ということです。
SNSやマスメディアを見ていると、有益性の観点から「意味がない」と語る人が時々いますが、半分的外れな意見である場合もあります。
そもそもルールやマナーは、相互間のコミュニケーションや広く言えば「生き方」を円滑に進めるためのものですから、それらが存在して機能している時点で「意味はある」と言えます。
しかし今では、その“広く言えば「生き方」にまで関わるルールやマナー”が、時代の変化とともにアップデートされなければならない局面にあります。
昭和や平成では「テレビ一強の大衆時代」「公務員が安定の職業」と言われていたように、“普通”を求めることが理想とされる部分がありました。
そこでは暗黙のルールやマナーは、自分が“普通”になるために大事な要素として存在しています。
同時に、お互いにそのルールやマナーを強制し合うことで周りの環境に“普通”を作り出していました。
(もちろん今でも学校や会社など、様々なところでそういったものは存在しています)
それにたいして今は、職種や考え方、人それぞれの「生き方」にまで多様化は広がっており、その人の自由を他の人が奪うことはマナー違反と捉えられることが多くなりました。
そういう風に考えたとき、これまでの暗黙のルールやマナーというのは令和の考え方にそぐわないものであり、若い人たちが違和感を覚えるのも当然のことと言えます。
飲み会の中で強いられるマナーやルール、ひいては「会社の飲み会に参加しなければならない」という“暗黙のマナーやルール”というものに今の若者たちが反抗する理由は、大きい目で見ればそういう時代の変化によるものなのでしょう。
2つ目のキーワード「自分の正しさを証明するための曲」について説明します。
これはAdoさん本人の来歴とコメントを踏まえてのキーワードです。
歌い手になってから数か月後、Adoはネット上で知り合った同じように活動する歌い手のライブを観に行く機会があったという。
内心どんな歌を歌うのかとワクワクしていた矢先、眼前に現れたのは、プロ意識が足りていないともいえる理想とはかけ離れた歌い手の姿だった。
「そんなにみんな本気じゃなかったというか。ちょっと違うなって思うことが結構あって。それからは、正直者が馬鹿を見るじゃないですけど、馬鹿に真面目に頑張っている自分が馬鹿なのかなって思い始めるようになった。それがずっと悔しくて悲しくて……私って本当は正しくなかったのかな、自分の思い描いていた歌い手の世界って嘘だったのかなって、やたらと執着していましたね」
苦しみが消えない今でも歌い手として歌の投稿を続けている理由を尋ねるとこう応える。
「苦しみが消えないというよりかはその苦しみを生かしているというか。私は間違ってないって思いたくて。だからずっと諦めずに歌を投稿しています」
(UNIVERSAL MUSIC JAPAN Adoとは? より引用)
一見『うっせぇわ』と関連がないように見えますが、“自分の正しさを証明する”という点では、彼女のバックグラウンドと『うっせぇわ』のテーマは根本的に繋がっており、だからこそ彼女の歌声にあれほどまでに気持ちが乗っているのだと考えられます。
3つ目のキーワード「代弁者でありながら脇役でもある“Ado”という存在」について説明します。
1つ目のキーワードの説明で、“暗黙のルールやマナー”に対する否定について話しましたが、私のようにネット上で発言するだけでは、これはただの愚痴にしかなりません。
それに対してAdoさんはそのステータスと才能で、「ただの愚痴」を芸術にまで昇華し、彼女の実力は反論を寄せつけないくらい完膚なきまでに一昔前の価値観を叩きのめしています。
その説得力ある彼女の叫び声は、私たちの代わりに社会に対して反発しており、そこにスカッとするような快感があります。
そしてもう一つ、また先ほどのページからコメントを抜粋してきました。
「最近は、歌い手を始める前に思い描いていた輝かしいものを忘れたくないなーって思いながら、そればっかり探して戦っています。そんな中、変わっていないのは、自分は間違っていないって証明したい事と、誰かを支えられる歌い手になりたいと思っていることですね。
さいたまスーパーアリーナに立てるような有名な歌い手になるというAdoの夢は、今も昔も変わらない。自分自身を証明するために歌い続けるAdoは、これから先の未来で、同じように戦う誰かに希望を与えながら、ひとりの歌い手として確実に深化していくのだろう。
(UNIVERSAL MUSIC JAPAN Adoとは? より引用)
ここにAdoさんの想いの全てが書かれていますが、『うっせぇわ』を聞くと見事に彼女が大切にしている2つのポリシーが歌声に反映されているのがわかります。
これで『うっせぇわ』のキーワードの模索は終わります。
以上3つのことを念頭に置いて、これからの歌詞考察を読むとより理解しやすいと思います。
2.歌詞考察&解説
正しさとは 愚かさとは
それが何か見せつけてやる
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフのような思考回路
持ち合わせる訳もなく
でも遊び足りない 何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
それもそっか
最新の流行は当然の把握
経済の動向も通勤時チェック
純情な精神で入社しワーク
社会人じゃ当然のルールです
『うっせぇわ』/Ado
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフのような思考回路
持ち合わせる訳もなく
主人公(Adoさんの可能性もありますが、作詞されたのが別の方なので一応「主人公」という言葉を使います)は、俗に言う優等生で尖った考え方をしていないと自分を客観視しています。
“優等生=大人に抵抗しない人”という方程式がしばしばみられますが、この歌詞もそういう意味で皮肉を表現しています。
一つ目のキーワードで話した「暗黙のルールやマナーが“普通”を作り出してしまうから不健康」という考え方に繋がります。
優等生だったけど気づけば“普通の大人”になっていて、感性あるいは知性に優れた頭脳を持っている訳でもない、平々凡々な脳みそだと自ら自虐しているわけです。
でも遊び足りない 何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
エイデイは“毎日”という意味です。
日々つまらなくて混乱していることが表現されています。
それもそっか
最新の流行は当然の把握
経済の動向も通勤時チェック
純情な精神で入社しワーク
社会人じゃ当然のルールです
流行を抑えているのは当たり前。
経済の動きを知っているのは当たり前。
純粋な気持ちで働くことが当たり前。
世の中には当たり前に過ごすためのルールが多いせいで、自分のために使う時間や精神が削られてしまっていることに主人公は気づきます。
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
あなたが思うより健康です
一切合切凡庸な
あなたじゃ分からないかもね
嗚呼よく似合う
その可もなく不可もないメロディー
うっせぇうっせぇうっせぇわ
頭の出来が違うので問題はナシ
『うっせぇわ』/Ado
前述した社会人のルールを「うっせぇわ」と一蹴するサビです。
ルールとマナーに縛られて“凡庸”の沼に沈んでいるあなたとは違うんだ、と叫んでいます。
嗚呼よく似合う
その可もなく不可もないメロディー
キーワードの模索で取り上げたAdoさんの来歴を読むと、ここの歌詞は遊び半分でやっていた無名の歌い手たちを鋭く批判していることがわかります。
つっても私模範人間
殴ったりするのはノーセンキュー
だったら言葉の銃口を
その頭に突きつけて撃てば
マジヤバない?止まれやしない
不平不満垂れて成れの果て
サディスティックに変貌する精神
クソだりぃな
酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい
皆がつまみ易いように串外しなさい
会計や注文は先陣を切る
不文律最低限のマナーです
『うっせぇわ』/Ado
その頭に突きつけて撃てば
マジヤバない?止まれやしない
不平不満垂れて成れの果て
サディスティックに変貌する精神
サディスティックは“残虐なこと(例えば物理的に殴ったり、精神的に追い詰めたりすること)を好む様”を意味します。
ここでは言葉を使って精神的に追い詰めることを指していますね。
クソだりぃな
酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい
皆がつまみ易いように串外しなさい
会計や注文は先陣を切る
不文律最低限のマナーです
不文律とは、文章化されていないもののことで、「不文律最低限のマナー」を言い換えると「暗黙のマナー」となります。
『うっせぇわ』は社会人の部下が上司に反抗するストーリーなのでこういう歌詞ですが、会社のことに限らず精神衛生上不健康なマナーにイライラしている人も多いのではないでしょうか。
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
くせぇ口塞げや限界です
絶対絶対現代の代弁者は私やろがい
もう見飽きたわ
二番煎じ言い換えのパロディ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
丸々と肉付いたその顔面にバツ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
私が俗に言う天才です
うっせぇうっせぇうっせぇわ
あなたが思うより健康です
一切合切凡庸な
あなたじゃ分からないかもね
嗚呼つまらねぇ
何回聞かせるんだそのメモリー
うっせぇうっせぇうっせぇわ
アタシも大概だけど
どうだっていいぜ問題はナシ
『うっせぇわ』/Ado
もう見飽きたわ
二番煎じ言い換えのパロディ
ここもまた、昔見に行った遊び半分の歌い手に対しての厳しい批判だと考えられます。
*あとはほぼ繰り返しなので考察は省きます。
3.編集後記
『うっせぇわ』の歌詞は変に遠回りした言葉を使わずにストレートに書かれていると同時に、使いまわしのチープな表現もないことで、新鮮さとスカッとする爽快感が感じられます。
さらにAdoさんの力強い歌声が、『うっせぇわ』のテーマを巧みに引き出していますね。
いかがでしたか?
質問やリクエスト、違う解釈の可能性などありましたら是非コメントで教えてください。
読者登録をしていただくと、ブログを更新したときに通知がいくため新曲の歌詞考察をいち早くご覧になれます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。