こんにちは、カフです!
今回は、Awsome City Clubさんの新曲『勿忘』の歌詞の意味を考察&解説していきます。
この曲は映画『花束みたいな恋をした』のインスパイアソングで、予告で流れるサビが気になっていた方も多いのではないでしょうか。
映画『花束みたいな恋をした』は菅田将暉さん演じる山音麦と、有村架純さん演じる八谷絹が終電を逃したことで出会い、話をする中で趣味・好みが一致し、あっという間に恋に落ちて同棲を始めますが、現状維持を目指しながらの就職活動をするもお互いにズレが生まれて…5年間に様々な経験を重ねて大人になる二人の姿が描かれています。
私はまだ映画を見ていないので、今回の歌詞考察では予告編の範囲内でのストーリーを扱うのでネタバレはありません。
ただ、その分考察の質が落ちてしまうのはご勘弁を…。
早く見たい…!
今回考察するにあたって、以下2点に注目しました。
まずは1つ目のキーワード“勿忘”の意味について説明します。
この曲の読み方を知らない方も多いかもしれませんが、“勿忘草(わすれなぐさ)”という花から取られていて「わすれな」と読みます。
“勿”という漢字には、「~するな」という禁止の意味があり、つまり『勿忘』という曲は「忘れないで」という意味になりますね。
ここで気になるのが、勿忘草の花言葉です。
勿忘草は英語名で、forget-me-not、すなわち「私を忘れないで」という意味です。
他にも、「真実の愛」「思い出」などという意味もあり、そのどれもが映画『花束みたいな恋をした』のストーリーを象徴するような言葉ばかりです。
ちなみに話は逸れますが、勿忘草はアニメ『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』にも登場人物の気持ちを表現するメタファーとして登場しており、1話と最終話の対比を見るとその演出に感動してしまいます。
次に2つ目のキーワードドイツ悲話よりについて説明します。
これは、勿忘草の由来であるドイツの伝説上のお話です。
若い騎士ルドルフが、ドナウ川の岸辺に咲く花を恋人であるベルタのために摘もうとしたところ、足を滑らせて川に流されてしまいます。
ルドルフは最後の力を尽くして花を川辺に投げ、「僕を忘れないで」と言って死んでしまいました。
残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の言葉を花の名前にしました。
『花束みたいな恋をした』の予告編を見た方なら分かると思いますが、山音麦(菅田将暉さん)は八谷絹(有村架純さん)とのこれからの生活のために、嫌なことも乗り越える必要があると考えています。
しかし、彼女はそうは考えておらず、そこの価値観の違いがズレを生んでしまっているのが予告からわかります。
彼女のために行動をしたつもりが、それが二人を引き離す原因になってしまうというストーリーは、どこかドイツの伝説に重なる部分がありますね。
本編を観ていないので、これは全部勝手な憶測にすぎないのですが…。笑
以上2つのキーワードを踏まえて、歌詞の考察をしていこうと思います。
歌詞の前半は別れた後の彼氏(山音麦)目線です。
呼ぶ声はもう聞こえない
絵の具を溶かすように 君との日々は記憶の中 滲んでく
彼女との思い出や記憶が、遠ざかっていることが歌詞からうかがえます。
山音麦は絵を描くことが好きで、イラストレーターの仕事もやっているので、“絵の具”というワードは彼らしさがでていますね。
何かを求めれば何かがこぼれ落ちてく
そんなこの世界で
就職活動の中で感じる、彼女と過ごす理想と、そうもいかない現実とのギャップ。
「私は、やりたくないことはしたくない」と言った八谷絹と違って、山音麦はその狭間で現実も受け入れなければならないと思っているのでしょう。
春の風を待つあの花のように
君という光があるのなら
“あの花”とはもちろん、勿忘草のことです。
勿忘草は3月~5月の間に開花するものですが、その春に「君という光があるのなら」という詩的な言葉が続きます。
春といえば卒業式や入学式など、出会いと別れのメタファーとして使われることがありますが、ここではそのどちらもが表現されていると考えられます。
彼女と別れるという選択は、必ずしも終わりを示しているわけではありません。
一度別れたとしても、その先に「君という光があるのなら」、すなわちもう一度彼女と出会いやり直せる日々があるのなら。
僕は勿忘草のように、“別れ”の春の風を待つ。
そして、次に再び“出会える”春が来るまで「どうか僕を忘れないで」。
という捉え方もできるような気がします。
巡り巡る運命を超えて
咲かせるさ 愛の花を 花束を
上で書いたことが歌詞で描かれています。
歌詞の後半は別れた後の彼女(八谷絹)目線です。
願いが叶うのなら ふたりの世界また生きてみたい
八谷絹の理想に浸っていたい気持ちが表れていますね。
水色花びらはもう香りを忘れ 君への想い 枯れていく
勿忘草は基本的に水色のものです。
ここの歌詞は、山音麦への「真実の愛」の気持ちが消えつつあることを示しています。
散ってしまいそうな心に覚えたての愛の美しさを
ねえ 咲かせて
あの頃の彼に戻ってきて欲しいと叫んでいるように聞こえますね。
しかし、その声は歌詞の冒頭にあるように山音麦には「もう聞こえない」のです。
春の風を待つあの花のように
飾らない心でいられたら
ひたむきに花びらを咲かせようとする勿忘草のように、「あなたと一緒にいたい」という気持ちをもっと純粋にぶつけられたらいいのに。
それをするにはたくさんの障害がありすぎて。
という彼女側の気持ちがあふれ出てくるような歌詞です。
ふたりが経験した一つ一つの出来事が、いつか彼らを結びなおす花束となって春を迎えられるといいですね。
ここまで、Awsome City Clubさんの映画『花束みたいな恋をした』よりインスパイアソングである『勿忘』について考察&解説してきました。
私はまだ予告編しか見ていないので、どうしても説得力に欠けた歌詞考察になってしまいましたが、映画をすでに見た人にもまだ見ていない人にも、等しく役に立つサイトになれば幸いです。
また、映画『花束みたいな恋をした』と『勿忘』、さらにはこの考察を読んだみなさんのこれからの恋路が良い方向に動きますように。
最後までご覧いただきありがとうございました。
今回は、Awsome City Clubさんの新曲『勿忘』の歌詞の意味を考察&解説していきます。
この曲は映画『花束みたいな恋をした』のインスパイアソングで、予告で流れるサビが気になっていた方も多いのではないでしょうか。
映画『花束みたいな恋をした』は菅田将暉さん演じる山音麦と、有村架純さん演じる八谷絹が終電を逃したことで出会い、話をする中で趣味・好みが一致し、あっという間に恋に落ちて同棲を始めますが、現状維持を目指しながらの就職活動をするもお互いにズレが生まれて…5年間に様々な経験を重ねて大人になる二人の姿が描かれています。
私はまだ映画を見ていないので、今回の歌詞考察では予告編の範囲内でのストーリーを扱うのでネタバレはありません。
ただ、その分考察の質が落ちてしまうのはご勘弁を…。
早く見たい…!
1.キーワードの模索
今回考察するにあたって、以下2点に注目しました。
POINT
・“勿忘”の意味
・ドイツ悲話より
まずは1つ目のキーワード“勿忘”の意味について説明します。
この曲の読み方を知らない方も多いかもしれませんが、“勿忘草(わすれなぐさ)”という花から取られていて「わすれな」と読みます。
“勿”という漢字には、「~するな」という禁止の意味があり、つまり『勿忘』という曲は「忘れないで」という意味になりますね。
ここで気になるのが、勿忘草の花言葉です。
勿忘草は英語名で、forget-me-not、すなわち「私を忘れないで」という意味です。
他にも、「真実の愛」「思い出」などという意味もあり、そのどれもが映画『花束みたいな恋をした』のストーリーを象徴するような言葉ばかりです。
ちなみに話は逸れますが、勿忘草はアニメ『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』にも登場人物の気持ちを表現するメタファーとして登場しており、1話と最終話の対比を見るとその演出に感動してしまいます。
次に2つ目のキーワードドイツ悲話よりについて説明します。
これは、勿忘草の由来であるドイツの伝説上のお話です。
若い騎士ルドルフが、ドナウ川の岸辺に咲く花を恋人であるベルタのために摘もうとしたところ、足を滑らせて川に流されてしまいます。
ルドルフは最後の力を尽くして花を川辺に投げ、「僕を忘れないで」と言って死んでしまいました。
残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の言葉を花の名前にしました。
『花束みたいな恋をした』の予告編を見た方なら分かると思いますが、山音麦(菅田将暉さん)は八谷絹(有村架純さん)とのこれからの生活のために、嫌なことも乗り越える必要があると考えています。
しかし、彼女はそうは考えておらず、そこの価値観の違いがズレを生んでしまっているのが予告からわかります。
彼女のために行動をしたつもりが、それが二人を引き離す原因になってしまうというストーリーは、どこかドイツの伝説に重なる部分がありますね。
本編を観ていないので、これは全部勝手な憶測にすぎないのですが…。笑
以上2つのキーワードを踏まえて、歌詞の考察をしていこうと思います。
2.歌詞考察&解説
例えば今君が その瞳濡らしていたとしても
呼ぶ声はもう聞こえない
絵の具を溶かすように 君との日々は記憶の中 滲んでく
何かを求めれば何かがこぼれ落ちてく
そんなこの世界で
春の風を待つあの花のように
君という光があるのなら
巡り巡る運命を超えて
咲かせるさ 愛の花を 花束を
『勿忘』/Awsome City Club
歌詞の前半は別れた後の彼氏(山音麦)目線です。
呼ぶ声はもう聞こえない
絵の具を溶かすように 君との日々は記憶の中 滲んでく
彼女との思い出や記憶が、遠ざかっていることが歌詞からうかがえます。
山音麦は絵を描くことが好きで、イラストレーターの仕事もやっているので、“絵の具”というワードは彼らしさがでていますね。
何かを求めれば何かがこぼれ落ちてく
そんなこの世界で
就職活動の中で感じる、彼女と過ごす理想と、そうもいかない現実とのギャップ。
「私は、やりたくないことはしたくない」と言った八谷絹と違って、山音麦はその狭間で現実も受け入れなければならないと思っているのでしょう。
春の風を待つあの花のように
君という光があるのなら
“あの花”とはもちろん、勿忘草のことです。
勿忘草は3月~5月の間に開花するものですが、その春に「君という光があるのなら」という詩的な言葉が続きます。
春といえば卒業式や入学式など、出会いと別れのメタファーとして使われることがありますが、ここではそのどちらもが表現されていると考えられます。
彼女と別れるという選択は、必ずしも終わりを示しているわけではありません。
一度別れたとしても、その先に「君という光があるのなら」、すなわちもう一度彼女と出会いやり直せる日々があるのなら。
僕は勿忘草のように、“別れ”の春の風を待つ。
そして、次に再び“出会える”春が来るまで「どうか僕を忘れないで」。
という捉え方もできるような気がします。
巡り巡る運命を超えて
咲かせるさ 愛の花を 花束を
上で書いたことが歌詞で描かれています。
願いが叶うのなら ふたりの世界また生きてみたい
あのキスから芽吹く日々
水色花びらはもう香りを忘れ 君への想い 枯れていく
散ってしまいそうな心に覚えたての愛の美しさを
ねえ 咲かせて
春の風を待つあの花のように
飾らない心でいられたら
触れられなくても
想い煩っても
忘れないよ
『勿忘』/Awsome City Club
歌詞の後半は別れた後の彼女(八谷絹)目線です。
願いが叶うのなら ふたりの世界また生きてみたい
八谷絹の理想に浸っていたい気持ちが表れていますね。
水色花びらはもう香りを忘れ 君への想い 枯れていく
勿忘草は基本的に水色のものです。
ここの歌詞は、山音麦への「真実の愛」の気持ちが消えつつあることを示しています。
散ってしまいそうな心に覚えたての愛の美しさを
ねえ 咲かせて
あの頃の彼に戻ってきて欲しいと叫んでいるように聞こえますね。
しかし、その声は歌詞の冒頭にあるように山音麦には「もう聞こえない」のです。
春の風を待つあの花のように
飾らない心でいられたら
ひたむきに花びらを咲かせようとする勿忘草のように、「あなたと一緒にいたい」という気持ちをもっと純粋にぶつけられたらいいのに。
それをするにはたくさんの障害がありすぎて。
という彼女側の気持ちがあふれ出てくるような歌詞です。
この恋をひとつずつ束ねいて
君という光があるのなら
巡り巡る運命を超えて
咲かせるさ 愛の花を 花束を
『勿忘』/Awsome City Club
ふたりが経験した一つ一つの出来事が、いつか彼らを結びなおす花束となって春を迎えられるといいですね。
3.編集後記
ここまで、Awsome City Clubさんの映画『花束みたいな恋をした』よりインスパイアソングである『勿忘』について考察&解説してきました。
私はまだ予告編しか見ていないので、どうしても説得力に欠けた歌詞考察になってしまいましたが、映画をすでに見た人にもまだ見ていない人にも、等しく役に立つサイトになれば幸いです。
また、映画『花束みたいな恋をした』と『勿忘』、さらにはこの考察を読んだみなさんのこれからの恋路が良い方向に動きますように。
最後までご覧いただきありがとうございました。