こんにちは、カフです!








今回は、崎山蒼志さんの曲『Undulation』の歌詞の意味を考察&解説していきます。











今年からアニメが始まった『2.43清陰高校男子バレー部』のオープニング曲に使われているので、そこから崎山蒼志さんを知ったという方もいるかもしれません。













この曲は、『五月雨』『Heaven』と続いて「再定義」シリーズに含まれており、3つのMVで三部構成という珍しい形になっています。
*当ブログでは、『Heaven』の歌詞の意味も考察していますのでよければご覧ください。
『Heaven』/崎山蒼志の歌詞の意味を考察&解説。誹謗中傷を「通過儀礼」として受け入れるのは間違ってる。











前置きはこの辺にして早速、『Undulation』について考察していこうと思います。






















1.キーワードの模索

Undulation1

今回考察するにあたって、以下3点に注目しました。




POINT

・“言葉”の持つ凶器的機能
・“藍色”の世界
・Undulationの意味










まず1つ目のキーワード“言葉”の持つ凶器的機能について説明します。







といっても、ここはそこまで説明する必要もなく、「言葉が時に誰かを傷つけるナイフにもなる」という教訓を私なりに言い換えただけです。










中1のころは、学校での人間関係に悩んでいた時もあって。



ひとことで言えば“思春期の悩み”というか…友達との会話の中で「人って意外と身勝手だな」とか「何で言いたいことがうまく伝えられないんだろう」とかって思うことがあったんです。



あとは、テレビのニュースで見た事件に感情移入して悲しくなっちゃったりすることもありました。



あるとき、そういう気持ちを「全部バーッと昇華させたい!」と思ったことがあって。



学校から帰って一晩で、殴り書きで曲を作ったんです。そうして完成したのが『五月雨』という曲でした。

「憧れの人の前で演奏して、世界が開けました」高校生ミュージシャン・崎山蒼志くんインタビュー より引用)







この引用を読めば分かるように、彼にとって“言葉”や“他人の心”が孕んでいる凶器性・身勝手さというのは『五月雨』以降も続いているテーマであり、今回の『Undulation』も例にもれずそれを内包しています。
ただ、彼はそのテーマに対して答えを求めようとしているわけではなくて、「言葉はナイフにもなりうるから気を付けましょう」という教訓を知っていながら実行しない他人の気持ちを理解できない、と感じていると考えられます。
だから、どの曲においても彼はそのテーマに対して明確な答えを出すことを避けて、自分の心情にフォーカスしています。











次に2つ目のキーワード“藍色”の世界について説明します。










藍色を扱ったことわざと言えば「出藍の誉れ」「青は藍より出でて藍より青し」の2つがありますが、これはどちらも「弟子が師匠の技量や知識を超えること」の例えで使われます。
師弟関係とは別物ですが、歌詞の「藍色の世界」とは自分よりも優れた者が表れる地点と考えることができます。
つまり、「藍色の世界」=「僕」の理想ということです。









今回、崎山さんのMVに出演できること嬉しく思います。誰もがなりたい自分やもう1人の僕がいてその気持ち悪さから逃げたくなる。そのどれもが自分でその僕に助けられる。新しい自分を受け入れる。そうやって周りが見えてくるんだなって思いました。

崎山蒼志がメジャーデビュー決定 自身の楽曲をバンドアレンジした配信SGを3ヵ月連続配信 より引用)








これは、再定義シリーズのMVに出演した楽駆さんのコメントを引用してきたものですが、「誰もがなりたい自分やもう1人の僕がいてその気持ち悪さから逃げたくなる」という言葉は、まさしく『Undulation』の中で崎山さんが吐露している感情だと思います。











最後に3つ目のキーワードUndulationの意味について説明します。









“Undulation”とは英語でうねり・起伏するものという意味です。
言葉の凶器性・他人の身勝手さに追いつけない自分の繊細さ、現在の自分と理想の自分の間にあるねじれ。
これらの事実がさらに自分の精神をうねらせて、形を保てなくなっていることを表しているのではないでしょうか。















以上3つのキーワードを踏まえて、歌詞を読んでいくとより考察が理解しやすいと思います。















2.歌詞考察&解説

Undulation3

友達にもらった言葉のナイフを
今日も僕は頭の中で握っている
空高い雲を睨んだ君の
家の近くの水平線がうねっている
『Undulation』/崎山蒼志

「僕」が友達から嫌なことを言われたというよりは、他の人の陰口を友達が「僕」に言っていたという方が歌詞のニュアンスに近い気がします。
ただ、友達からの(半ば勝手な)悪口の共有というのはいい気分がしませんよね。
ましてや繊細な人は、自分に向けられてなくてもその言葉を何度も何度も反芻してしまうものです。








でも、そんな自分の気持ちを知らないで友達は気にせず生活しているし、そうして2人の間が(一方的に)乖離していく中で、「僕」は勝手に孤独感を感じて…。
「僕」の精神がうねっている様子が浮かびます。










願いが願いのまま終わるなんて嫌だな
でも僕はそれを感じながら生きていくんだろう
そんなふうに寝返りをうつ この僕に
藍色の世界が微笑む
『Undulation』/崎山蒼志

友達のように何も気づかないくらい鈍く生きてみたいけど、そんなこと結局できずに生きていくんだろうな。








キーワードの中で触れませんでしたが、ここでいう「藍色の世界」つまり「僕の理想」は2つ存在すると私は思っていて、1つは周りの目線によって作られる理想像で、もう1つが自分の本心から見つけ出す理想像です。
この2つの理想像が混濁していると、自分の中でその理想像がしっくりと来なくて、それが楽駆さんの言っていた「気持ち悪さ」に繋がってくるのではないかと私は解釈しています。








聴いた人によっては「藍色の世界が微笑む」というところに不気味さを感じたかもしれませんが、その理由が上で説明した気持ち悪さだと思います。










あの子がいっていた感情の凶器を
今日も僕は忘れられぬまま
走っている
知らないことを知らないままで終わらせる
毎日に抽象的なノイズが問いかける
『Undulation』/崎山蒼志

未だに、あの時(半ば勝手に)共有された言葉のナイフを捨てることができずにいます。
しかし、どこか何となくで生きていて物事の是非を吟味する責任を避ける「僕」は「知らないこを知らないままで終わらせ」てしまいます。
この「僕」の姿は、周りの目線によって作られる理想像に近いです。
事なかれ主義というか、流れに身を任せてしまう部分がありますね。









それに対して、自分の本心から見つけ出す理想像は「僕」にこのままでいいのかと問いかけています。
しかし、2つの理想像を区別できない「僕」にとってその問いは「抽象的なノイズ」であり、自分の感情のようで自分のものでないように認識してしまっています。














Undulation2

願いが願いのまま終わるなんて嫌だな
でも僕はそれを感じながら生きていくんだろう
そんなふうに寝返りをうつ この僕に
藍色の世界が僕の背中を強く刺す
『Undulation』/崎山蒼志

「僕」は、自分の本心から見つけ出す理想像をしっかりと認識できないまま、現在の自分と理想の自分のねじれに気持ち悪さを感じ、日に日に精神の多くを削いでいる周りの目線によって作られる理想像に最後は刺されてしまい、元の自分すら見失ってしまうのです。









そのためMVの最後は、混濁した理想像に元の自分が殺されてしまうことを示していると解釈できます。















3.編集後記




ここまで、「再定義」シリーズの3部作目『Undulation』の歌詞の意味を考察してきました。








現状の自分、自分のやりたいこと、周りが自分に求めることの3つに悩まされるのは、良好な人間関係や進路を考える必要がある思春期にありがちですよね。
中学生にしてここまで鋭く世の中を捉えていた崎山さんの目と言葉には驚きです…。









彼の見る景色には大学生ながら“共鳴”できるし、それが私にとっては救いになります。












いかがでしたか?







質問やリクエスト、違う解釈の可能性などありましたら是非コメントで教えてください。






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最後まで読んでいただきありがとうございました。