こんにちは、カフです!
今回は、sumikaさんの新曲『本音』の歌詞の意味を考察・解説していきます。
『本音』は第99回全国高校サッカー選手権大会の応援歌として書き下ろされた曲で、初めてサッカースタジアムを使ってMVを撮影されています。
歌詞も、一緒に「好き」なことをやりきる仲間との友情にフォーカスしたものになっています。
『本音』という曲名だけあって、ストレートな歌詞で力強い曲調と片岡健太さんのさわやかな声が、美しい青春をイメージさせますよね。
今回考察するにあたって、以下2点に注目しました。
今回は、テーマについて前もって解説することはせずに早速歌詞を見ていこうと思います。
また、考察に関わるところだけを取り上げるので、歌詞が飛び飛びになってしまいますが、決して忘れてるわけではありません。笑
以上二つのポイントをおさえて読んでいくと、これからの考察がより理解しやすいと思います。
「ああ 辞めちまおうかな」
一人こぶしを握って爪が刺さった
部活動に限らず、本気でやればやるほど物事は辛くて苦しい場面が多くなるものですが、例にもれず主人公である「僕」は、その辛さに耐えられず「辞めちまおうかな」と考えています。
しかし、「一人こぶしを握って爪が刺さった」という描写から、そんな自分の弱気な判断に後悔している気持ちが読み取れますね。
「ああ 辞めたくないよな」
本音はいつも君と肩を組んだ後
ここは、「君」がいることで「やっぱりやめたくない」と考え直す「僕」の気持ちが描かれています。
もうすこし詳しく考察すると、ここの鍵括弧は「君」の言葉であると同時に「僕」の気持ちでもあります。
「辞めちまおうかな」と悩んでいる「僕」に対して、気持ちを察した「君」が「辞めたくないよな」と肩を組んで言うことで、「僕」の気持ちに変化を与えているわけです。
そして、「僕」は辞めようという気持ちは一時の辛さから来たもので、「本当は辞めたくないんだ」という自分の本音に気づけたのです。
走れ走れ走れ
涙より早く
涙が落ちるのは自分の足元ですが、その涙が落ちきる前に一歩でも踏み出せればいいんです。
一歩だけでも。
今何かに本気で打ち込んでいる方がいれば、立ち止まっている暇なんてありませんよ。
落ち込むことがあったら泣きながら進めばいいんです。
ありふれた言葉でも
「大丈夫 大丈夫」
共に行こう
ここは「僕」の言葉だと考えられます。
曲の冒頭では「僕」が落ち込んだときに「君」が励ましてくれましたが、今度は「君」が落ち込んだら「僕」が励ます、という構図になっています。
じつは後半も同じ作りになっていますが、これはお互いに支え合って成り立っている友情関係が見て取れますね。
先ほど書いた通り、他人の言葉で傷ついた「僕」のことを、辛さも苦しさも一緒に乗り越えてきた「君」が励まして認めてくれるシーンが浮かびます。
*また、ここで言われている「好き」なものに挑む姿勢は、『群青』/YOASOBIの考察記事の中でテーマとして取り上げているので、よければ一緒にご覧ください。
『群青』/YOASOBIの歌詞の意味を考察&解説。あなたが青く見えるなら、りんごもうさぎの体も青くていいんだよ。
ここは2つ目のテーマである、ニーチェの「運命愛」的な哲学が垣間見える歌詞です。
ここからは哲学の話なので少し難しく感じるかもしれませんが、今ではスポーツ漫画や応援歌など、様々なところで取り入れられている普遍的なテーマなので、なんとなく理解してもらえると嬉しいです。
ニーチェとは、19世紀末のドイツ哲学者フリードリヒ・ニーチェのことで、現代では実存主義の代表として高校の倫理の授業などで取り上げられます。
「神は死んだ」という言葉で有名なあの人ですね。
実存主義についてわかりやすくいうと、「個々の生き方に注目して、どう生きるか考える」姿勢のことです。
ニーチェはその中で、「運命愛」という独自の概念を考えます。
たぶん、現代の多くの人は「人生=線」と考えています。
大学試験は通過点でゴールではない。
これまでの人生のなかで戻れるならいつに戻りたい?
あの幸せな頃に戻りたいなあ。
等々、人生を線と捉える考え方は、様々な会話の節々に表れています。
しかし、それに対してニーチェの言う「運命愛」は「人生=円のようなもの」と考えています。
人生には辛いも苦しいこともあるが、一瞬でも「楽しい、人生最高」と思えることがあれば、そのすべてを甘んじて受け入れ、再び全く同じ人生をやりきるだろう、という考え方です。
これを表す言葉で「これが人生か、さらばもう一度!」という有名な一節がありますね。
自分の運命のすべてを愛するから、「運命愛」という概念だと思ってくれれば大丈夫です。
このようにニーチェの考えた「運命愛」という概念はかなり大きな視点ですが、これをスポーツなどの小さい事象に落とし込むと、ここの歌詞のようになります。
辛くても苦しくても、サッカーが好きだから、楽しいから、サッカーを愛するんだ。
「忘れずに憶えていよう 僕らの一瞬を 叫んで行こう」
ここまで、『本音』/sumikaの歌詞の意味を考察&解説してきました。
私は大学入試のとき、偉人たちの言葉に励まされてる気がして、倫理の授業がいちばん好きでしたが、その中でも特にニーチェの「運命愛」や「超人」、「ルサンチマン」という概念は、勉強のモチベアップによく利用していました。
彼の厳しすぎるくらいの考え方は、いい意味でけっこう心に刺さるんです…。
少し抽象的な話が多くなってしまい、すみません。笑
いかがでしたか?
質問やリクエスト、違う解釈の可能性などありましたら是非コメントで教えてください。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
今回は、sumikaさんの新曲『本音』の歌詞の意味を考察・解説していきます。
『本音』は第99回全国高校サッカー選手権大会の応援歌として書き下ろされた曲で、初めてサッカースタジアムを使ってMVを撮影されています。
歌詞も、一緒に「好き」なことをやりきる仲間との友情にフォーカスしたものになっています。
『本音』という曲名だけあって、ストレートな歌詞で力強い曲調と片岡健太さんのさわやかな声が、美しい青春をイメージさせますよね。
1.テーマの模索
今回考察するにあたって、以下2点に注目しました。
POINT
・歌詞の配置から見る主人公たちお互いの存在
・ニーチェの「運命愛」的な哲学
今回は、テーマについて前もって解説することはせずに早速歌詞を見ていこうと思います。
また、考察に関わるところだけを取り上げるので、歌詞が飛び飛びになってしまいますが、決して忘れてるわけではありません。笑
以上二つのポイントをおさえて読んでいくと、これからの考察がより理解しやすいと思います。
2.歌詞の考察&解説
「ああ 辞めちまおうかな」
一人こぶしを握って爪が刺さった
「ああ 辞めたくないよな」
本音はいつも君と肩を組んだ後
『本音』/sumika
「ああ 辞めちまおうかな」
一人こぶしを握って爪が刺さった
部活動に限らず、本気でやればやるほど物事は辛くて苦しい場面が多くなるものですが、例にもれず主人公である「僕」は、その辛さに耐えられず「辞めちまおうかな」と考えています。
しかし、「一人こぶしを握って爪が刺さった」という描写から、そんな自分の弱気な判断に後悔している気持ちが読み取れますね。
「ああ 辞めたくないよな」
本音はいつも君と肩を組んだ後
ここは、「君」がいることで「やっぱりやめたくない」と考え直す「僕」の気持ちが描かれています。
もうすこし詳しく考察すると、ここの鍵括弧は「君」の言葉であると同時に「僕」の気持ちでもあります。
「辞めちまおうかな」と悩んでいる「僕」に対して、気持ちを察した「君」が「辞めたくないよな」と肩を組んで言うことで、「僕」の気持ちに変化を与えているわけです。
そして、「僕」は辞めようという気持ちは一時の辛さから来たもので、「本当は辞めたくないんだ」という自分の本音に気づけたのです。
走れ走れ走れ
涙より早く
走れ走れ走れ
君と後悔より先へ
ありふれた言葉でも
「大丈夫 大丈夫」
共に行こう
『本音』/sumika
走れ走れ走れ
涙より早く
涙が落ちるのは自分の足元ですが、その涙が落ちきる前に一歩でも踏み出せればいいんです。
一歩だけでも。
今何かに本気で打ち込んでいる方がいれば、立ち止まっている暇なんてありませんよ。
落ち込むことがあったら泣きながら進めばいいんです。
ありふれた言葉でも
「大丈夫 大丈夫」
共に行こう
ここは「僕」の言葉だと考えられます。
曲の冒頭では「僕」が落ち込んだときに「君」が励ましてくれましたが、今度は「君」が落ち込んだら「僕」が励ます、という構図になっています。
じつは後半も同じ作りになっていますが、これはお互いに支え合って成り立っている友情関係が見て取れますね。
「なあ 好き勝手いいよな」
心ない事を食らって
影落とす日も
「好きだけじゃないよな」
本音は君が知って
居てくれたらいいさ
『本音』/sumika
先ほど書いた通り、他人の言葉で傷ついた「僕」のことを、辛さも苦しさも一緒に乗り越えてきた「君」が励まして認めてくれるシーンが浮かびます。
*また、ここで言われている「好き」なものに挑む姿勢は、『群青』/YOASOBIの考察記事の中でテーマとして取り上げているので、よければ一緒にご覧ください。
『群青』/YOASOBIの歌詞の意味を考察&解説。あなたが青く見えるなら、りんごもうさぎの体も青くていいんだよ。
生きていれば
辛い事の方が多いよ
楽しいのは一瞬だけど
それでもいいよ
忘れずに憶えていよう
僕らの一瞬を
叫んで行こう
『本音』/sumika
ここは2つ目のテーマである、ニーチェの「運命愛」的な哲学が垣間見える歌詞です。
ここからは哲学の話なので少し難しく感じるかもしれませんが、今ではスポーツ漫画や応援歌など、様々なところで取り入れられている普遍的なテーマなので、なんとなく理解してもらえると嬉しいです。
ニーチェとは、19世紀末のドイツ哲学者フリードリヒ・ニーチェのことで、現代では実存主義の代表として高校の倫理の授業などで取り上げられます。
「神は死んだ」という言葉で有名なあの人ですね。
実存主義についてわかりやすくいうと、「個々の生き方に注目して、どう生きるか考える」姿勢のことです。
ニーチェはその中で、「運命愛」という独自の概念を考えます。
たぶん、現代の多くの人は「人生=線」と考えています。
大学試験は通過点でゴールではない。
これまでの人生のなかで戻れるならいつに戻りたい?
あの幸せな頃に戻りたいなあ。
等々、人生を線と捉える考え方は、様々な会話の節々に表れています。
しかし、それに対してニーチェの言う「運命愛」は「人生=円のようなもの」と考えています。
人生には辛いも苦しいこともあるが、一瞬でも「楽しい、人生最高」と思えることがあれば、そのすべてを甘んじて受け入れ、再び全く同じ人生をやりきるだろう、という考え方です。
これを表す言葉で「これが人生か、さらばもう一度!」という有名な一節がありますね。
自分の運命のすべてを愛するから、「運命愛」という概念だと思ってくれれば大丈夫です。
このようにニーチェの考えた「運命愛」という概念はかなり大きな視点ですが、これをスポーツなどの小さい事象に落とし込むと、ここの歌詞のようになります。
辛くても苦しくても、サッカーが好きだから、楽しいから、サッカーを愛するんだ。
「忘れずに憶えていよう 僕らの一瞬を 叫んで行こう」
3.まとめ、編集後記
ここまで、『本音』/sumikaの歌詞の意味を考察&解説してきました。
私は大学入試のとき、偉人たちの言葉に励まされてる気がして、倫理の授業がいちばん好きでしたが、その中でも特にニーチェの「運命愛」や「超人」、「ルサンチマン」という概念は、勉強のモチベアップによく利用していました。
彼の厳しすぎるくらいの考え方は、いい意味でけっこう心に刺さるんです…。
少し抽象的な話が多くなってしまい、すみません。笑
いかがでしたか?
質問やリクエスト、違う解釈の可能性などありましたら是非コメントで教えてください。
読者登録をしていただくと、ブログを更新したときに通知がいくため新曲の歌詞考察をいち早くご覧になれます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。